最低賃金引き上げへの対応 〜中小企業が今すぐ取るべき実務ポイントを社労士が解説〜

「最低賃金の引き上げ」は、単なる労働条件の改善にとどまらず、日本経済の構造転換を目的とした政策の一環として進められています。
政府は近年、「成長と分配の好循環」を掲げ、賃上げを起点とした内需主導の経済成長を志向しています。その中でも最低賃金は、賃上げを社会全体に波及させるための「起点」として位置付けられており、継続的な引き上げが既定路線となっています。
この背景には、長期的なデフレ環境からの脱却に加え、慢性的な人手不足、非正規雇用の増加に伴う所得格差の是正といった課題があります。つまり最低賃金の引き上げは、一時的な施策ではなく、中長期的に続く前提で捉える必要があります。
最低賃金が企業に与える実務的影響
最低賃金の上昇は単に「時給が上がる」という話では終わりません。実務上は、次のような波及が生じます。
まず、最低賃金近傍で雇用している従業員の賃金が直接的に引き上げられます。これに伴い、既存社員とのバランスを維持するため、中間層の賃上げも必要となり、人件費は想定以上に増加します。具体的な例で見てみましょう。愛知県では令和6年度10月以降の最低賃金は1,077円でした。そのため、令和7年春から、ある会計事務所新たに採用された新入社員3名の時給は1,080円だったとしましょう。ところが、最低賃金が令和7年10月には1,140円に引き上げられました。事務所は当然、法律違反にならないために新入社員3名の時給を1,140円に引き上げなければなりません。
そして、話はここで終わらないのがポイントなのです。それでは、これまで、1,120円で働いてきた2年目社員はどうなるのでしょうか?企業は、新入社員とのバランスを考慮するために入社2年目の社員の時給もアップせざるを得ません。例えば2名の従業員の時給を1,200円に引き上げたとします。
そうすると、今度は1,200円で働いていた入社3年目の従業員4名の賃金も1,300円に引き上げることとなり…、といった具合に人件費の引き上げは段階的に一定程度まで行われます。
具体例で見てみましょう
ここに登場する従業員が仮に全員、正社員で1日8時間労働、年間休日が125日と想定して、最低賃金引き上げによる、経済的な波及効果を実際に計算してみましょう。
①新入社員3名:1,140-1,080=60円アップ(365-125)×8時間×60円=115,200円/年間/人 企業の社会保険料負担分は約16%なので、115,200×1.16=133,632円/年間/人 実際には3名の追加コストがかかるので、133,632円×3名=400,896円のアップとなります。
②2年目社員2名:1,200-1,120=80円アップ(365-125)×8時間×80円=153,600円/年間/人 企業の社会保険料負担額を考慮すると、153,600円×1.16=178,176円/年間/人 現実的には2名の負担が増えるため、178,176×2=356,352円のアップとなります。
③3年目社員:1,300-1,200=100円アップ (365-125)×8時間×100円=192,000円/年/人 企業の社会保険料負担額も考慮に入れると、192,000×1.16=222,720円 実際には4名の追加コストがかかるため、222,720×4名=890,880円のアップとなります。
①〜③を合わせると400,896+356,352+890,880=1,648,128円となり、最低賃金引き上げをきっかけとした、新入社員をはじめとした入社3年目までの従業員9名の賃上げのために、約165万円もの賃金原資を新たに確保しなければならないということがわかるでしょう。
また、人件費の増加は固定費の上昇を意味し、損益分岐点を押し上げます。売上が同水準であれば、利益は確実に圧縮されます。
さらに、原資確保のための価格転嫁を試みようとしても、取引関係や市場環境によっては十分に反映できないケースも少なくありません。結果として、「利益が出にくい構造へ」と移行してしまうリスクがあります。
経営者が取るべき実務対応
このような環境下では、「賃上げに耐える」のではなく、「賃上げを前提とした経営」に転換する必要があります。具体的には、以下の対応が重要です。
①付加価値の見直しと単価戦略
人件費が上がる以上、売上単価の見直しは避けて通れません。ただし、これまでと全く同じ商品、サービスを、値上げ価格で販売するのは難しいため、付加価値をつけるなど、「提供価値に見合った商品(サービス)か」という観点で再設計することが重要です。
②業務効率化・生産性向上
人件費が上昇していく以上、限られた人員で成果を出す体制づくりが不可欠です。①「無駄な業務の削減」②「業務フローの見直し」③「ITツールの導入」といった取り組みを行なっていく必要があるでしょう。
③人員配置・シフト設計の最適化
人手不足下では問題は「人を増やす」だけでは解決しないことも少なくありません。繁閑に応じた人員配置や業務の標準化により、労働時間あたりの生産性を高める必要があります。日本の労働生産性はOECD38カ国の中で29位と、諸外国の中でも低い状況にあります。業種によっては、変形労働時間制を取り入れるなど、「働き方」の工夫をする必要があります。
④助成金の活用
例えば業務改善助成金などは、設備投資と賃上げをセットで支援する制度です。また、働き方改革助成金などには、従業員教育を行って、業務を効率化することを助成するコースもあります。このような助成金の活用の可否で投資判断が変わるケースもあるため、事前の情報収集が重要です。
⑤賃金制度の再設計
場当たり的な賃上げは、将来的に制度の歪みを生みます。評価と賃金の連動を整理し、「なぜこの賃金なのか」を説明できる状態にしておくことが、組織の安定につながります。生産性の向上には、従業員のエンゲージメントを高めることが必須です。従業員が働きがい、やりがいを持て仕事に取り組めるような評価制度・賃金制度に見直す必要があるかもしれません。
見落としがちな法的留意点
最低賃金の判断においては、すべての手当が算入されるわけではありません。精皆勤手当、通勤手当、家族手当などは原則として除外されるため、形式上は一見問題のない賃金を支払っていても、最低賃金違反となるケースがあるので注意が必要です。違反した場合、罰則だけでなく企業イメージの毀損にもつながるため、制度の正確な理解が不可欠です。
まとめ
最低賃金の引き上げは、もはや一時的なコスト増ではなく、企業経営の前提条件となりつつあります。また、人件費をコストと捉えるのでなく、「人的資本」と捉える経営が時代の要請ともなってきています。
重要なのは、賃上げを含む財務面だけでなく、労務面も含め、企業経営一体として「どのように対応するか」です。賃上げを前提とした経営設計へと早期に移行できるかが、今後の持続的成長を左右すると言えるでしょう。
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